8月4〜6日、広島で行われた原水爆禁止世界大会2015に参加してきました。被爆体験を聞くとともに、世界の核廃絶へ向けた運動を知る、貴重な機会となりました。

150819_原爆ドームと太田川

○被爆二世の方から

 初日、被爆者代表の坪井直さんのあいさつから始まりました。「私は今90歳。まだまだこれから、皆さんと一緒に頑張りたい」と、なお張りのある声で訴えました。二日目の分科会では、全国からの参加者とともに、語り部の活動をされている方から被爆体験の話を伺いました。黒住さんは、両親ともに被爆者だった被爆二世の方。母親の被爆体験を話してくれました。原爆投下直後の6日の昼ごろ、母親を探しに広島に入った。道路は死体だらけで所々ぬかるんでいたが、最初は歩いていてもそれが死体だとは分からなかった。川にも死体が浮いており、水を飲む形で亡くなっている人もいた、と話していたそうです。被爆二世である自分も、空襲で爆撃される夢を見ることがあるといいます。
 語り部の活動に感銘を受けて、広島に移住して活動を始めたという村上さんは、現在80歳になる南崎さんの体験を話してくれました。原爆投下時の爆風でなぎ倒され気を失った。一旦目覚めたが、一面の瓦礫を見てふたたび気を失ってしまったという。身体の3分の2近くに火傷を負い、寝たきり生活が長く続いた。身体は回復しても、暮らしは戦後の方が大変だったとも話していたそうです。
 話を伺ったあと、語り部の方を交えて参加者で意見交流をしました。ある高校生は、中学校の歴史の授業でもずっと違和感を感じていた、それで周りとはずれたけど、今日話ができたことは良かったと話してくれました。被爆者が高齢化していくなか、今日は貴重な経験になったと多くの方が話していました。
 その後、平和公園の周囲に数多く残る戦災碑を、ガイドの方から説明を聞きながら巡り歩きました。それぞれにエピソードが残された石碑を巡りながら町を歩いていると、広島の街並みに、原爆投下直後の一面瓦礫の風景が目に浮かぶようです。被爆の体験は今でも風化されずに町に住む人の記憶として残っている。思い出すことも辛いだろう記憶を町全体で継承している姿勢に、強く感銘を受けました。

○核兵器廃絶 世界の動き

 三日目の全体会では、世界の核廃絶運動の現場からの報告がありました。国連軍縮担当代表代行のキム・ウォンスさんは、「被爆者は、生き証人として核兵器の惨状を伝えてきた平和の大使。今、私たちは核兵器廃絶への旅の途中にいます。イランでは、核開発をめぐって画期的な合意に達することができました。私たちにはこのようなことが可能だと肝に銘じて、今後も努力を続けていきましょう」と訴えました。インドネシア国連代表部のムハンマド・アンソルさんは、5月に行われたNPT再検討会議について、「世界の大多数が核兵器廃絶の立場に立っていることが確認されました。また、日本のNGOの活動は草の根の活動のお手本ともいうべき存在で、大変勇気づけられた」と話していました。三日間を通じて、戦争の記憶を語り継いでいくことの大切さと、今後の展望を共有できる機会となりました。

(青年支部ニュースより).

Author: MichiyaHIRAKAWA

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